大判例

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札幌高等裁判所 昭和34年(う)164号 判決 1961年1月31日

被告人 康吉こと加藤安吉

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

原判決は、佐賀光義の所有耕作する増毛郡増毛町大字阿分村字阿分二二八番地の五の水田約三反の元耕作者は被告人の肩書宅地内を流れる小溝から上手水田の余水を二十数年間引水していたが、右光義の水田の前所有者佐賀昌博は昭和二二、三年頃被告人との間でこの小溝の一部を樋による水路に変えることを協定し、以来数年間右被告人宅地の東北側に沿つて木樋を継ぎ合わせた流水路を設置し、これから前記水田に引水していたもので、これにより灌漑のため前記小溝の流水を樋に受けて右水田に引水する慣習による権利を取得したものであるところ、前記光義は昭和二八年頃右水田の所有権を取得するとともに右慣習による流水使用権をも取得し、毎年耕作期間中右箇所に長さ一二尺の木樋を一四本位継ぎ合わせた流水路を設置して右水田に引水していた旨の事実を認定し、この事実を前提として、二回にわたり右の樋の一本を取り外した被告人の本件各所為が刑法第一二三条所定の水利妨害罪を構成すると認めたものと解される。

そこで所論にかんがみ佐賀光義が右のような流水使用権を有していたかどうかを検討するに、原判決挙示の証人木村ミネ、同外崎丈雄、同小川猛、同加藤堅治郎の各供述記載並びに同証人等の当審(受命裁判官に対するものを含む。)における各供述の記載を総合すると、佐賀光義の耕作する本件水田の元耕作者である木村ミネが、被告人の宅地内を通る溝を利用して、同宅地内に流れて来る上手水田の余水を本件水田に引いていたことは、認められないではない。しかし、右証拠のほか、原審第五回公判調書中の証人相内勇三郎、同石田貞吉の各供述記載、証人相内勇三郎に対する当審尋問調書、証人町田卯之助に対する原審各尋問調書及び原審第一〇回、第一一回、当審第二回各公判調書中の被告人の供述記載並びに原審及び当審の検証調書四通及び司法警察員作成の実況見分調書(各添附図面を含む。)を総合すると、木村ミネが本件水田を耕作していた時期は明確でないが、ほぼ昭和初年頃から昭和一五年頃までであつて、その後昭和二一年までの六、七年間は耕作する者がなく、この土地は荒廃し、前記引水用の溝のうち現在の水溜附近から下流の部分は痕跡をとどめていただけで、現在ではその痕跡も認められず、かつ、被告人方宅地の地形の変化した結果耕作再開後も以前のような溝によつては引水できなくなつていたこと、本件水田の南隣にある現在佐賀昌博の耕作する水田は以前から南方の信砂川から流れて来る用水路から引水しており、本件水田にも右の用水路から直接又は田移しに引水することが可能であつて、本件の被告人宅地内の流水を使用することは本件水田の耕作にとつて有利ではあるが不可欠ではないこと、また被告人は木村ミネの耕作当時から本件流水の使用を争つていた形跡があること(証人小川猛に対する原審尋問調書)などを認めることができ、右によれば、本件水田の使用に随伴する本件流水の使用権を生ぜしめる程の慣習が確立していたことは必ずしも認められず、かりにかような慣習があつたとしても、その慣習は前記のように中絶し、その間に従前の溝による引水が不可能になつたことによつて、消滅したと認めるのが相当である。また、証人熊谷徳治の原審第一一回公判調書並びに原審及び当審尋問調書中の各供述記載、証人外崎丈雄の前記各供述記載並びに証人赤平寅次郎の原審第三回公判調書中の供述記載に徴すると、昭和二一年頃本件水田の元所有者横内トメの小作人らが管理人態谷与助方に集まり、小作人らが耕作地を買い受けた後も用水の使用は従前どおりとするとの申し合せがなされたことがうかがわれるが、すでに前記慣習が存在したとしても消滅したものと認められる以上、この申し合せによつてこれが確認ないし復活されたものとは認められない。そうである以上、このような慣習の存在を前提とし、その一部を変更する協定もあり得ないといわなければならない。

そこで問題となるのは、本件水田を昭和二一年頃取得し、同二二年頃からその耕作を始めたことが認められる佐賀昌博と被告人との間に新たな水利権設定の契約があつたかどうかということであるが、この点につき証人佐賀昌博、同佐賀光義及び同加藤堅治郎の原審及び当審における各供述の記載によると、同人らは原判示のように樋を設置して引水することは昭和二二年頃被告人の承諾を得たものであり、あるいはむしろ被告人が畜舎等の建築の都合上要請したことであると供述しているけれども、この点は被告人の極力否定するところである。よつて考えるに、前記慣習の点の認定に用いたのと同じ証拠によれば、以前木村ミネが引水していた方法は現在の水溜附近に一部樋を架設したほか、現在の納屋と畜舎との中間附近の土を堀つた小溝によるもので、被告人の土地を著しく妨げるものではなかつたと認められ、しかも恐らく被告人も当時自己の耕作していた水田に引水するためにこの溝を使用していたものと推認されるのであるが、証人佐賀光義に対する当審尋問調書をも併せてみると、佐賀昌博及び佐賀光義の引水した方法はこれと異なり、毎年耕作期間中、被告人方の宅地と農地との間に全長約五〇メートルにわたり約三〇ないし八〇センチメートルの高さに樋を架設して引水するもので、この樋はもつぱら本件水田の耕作だけに役立つものであり、被告人の土地利用に対しては相当高度の妨げになることが明らかであるのに、被告人と佐賀昌博との間には土地使用料及び期間につき何の取りきめもされていないことが認められる。(なお、原審第一二回公判調書中の被告人の供述記載によると、被告人が右の土地を買い受けたのは昭和二四、五年であるが、昭和四年頃からすでにこれを賃借使用していたことが認められる。)そして被告人及び証人佐賀昌博の各供述記載により認められる被告人は戦前から長くこの土地に住み附近を耕作していたのに反し、佐賀がこの土地の耕作を始めたのは昭和二二年頃からであることその他諸般の両名の利害関係をこれと総合すると、被告人が無償で無期限に前記のような樋を設置することをたやすく承諾したものとは考えられないのであつて、むしろ被告人の原審第一〇回公判調書中の供述記載のように、佐賀昌博が一方的に水利権があると主張し、被告人の意に反して樋を架設してしまつたので、被告人は年々やむを得ずこれを受忍してきたにすぎないと認めるのが相当であつて、これに反する前記各供述は措信することができないものである。そして被告人が昭和二二年頃以来この樋の設置を黙認していたものではなく、その権利を争つてきたこと、特に佐賀光義が耕作するようになつてからは毎年樋を架設するたびに争いが起きていたことは、当審第二回公判調書中の被告人の供述記載、原審第三回公判調書中の証人今兼太郎の供述記載、同第四回公判調書中の証人川浪由太郎、同加藤千恵、同加藤新一郎の各供述記載を総合して認められるところである。また、証人佐賀昌博、同佐賀光義に対する当審各尋問調書及び当審第三回公判調書中の証人加藤堅治郎の供述記載によると、被告人は同人らに要求して樋の上に橋をかけさせたことが認められるが、これは既成事実を前に、所有地内の通行のためやむを得ずなした要求と解すべく、このような要求をした事実があるからといつて直ちに樋の設置を承認したものと認めるべきではない。

以上によれば、佐賀昌博が慣習又は契約に基づき本件のような樋による流水使用の権利を取得したことは認められず、従つて佐賀光義が同人から本件水田の所有権を取得したとしても、これに伴なつて右流水使用の権利を取得するいわれがない。そうしてみると前記のような認定をした原判決には事実の誤認があり、この誤認は明らかに判決に影響を及ぼすものといわなければならないから、論旨は理由があり、原判決は全部破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

本件起訴状記載の訴因は、

被告人は増毛郡増毛町大字阿分村字阿分に宅地を所有しているものであるところ、その西隣りに佐賀光義が水田三反歩を所有耕作していて、同水田に引水するため昭和二二、三年頃から排水溝から被告人の土地内に一二尺の樋を一四本継ぎ合わせて引水する権利を有していたものであるが、被告人は、

第一、昭和三一年五月二二日頃故なく自己所有地内を通つている排水溝口から三本目の一二尺の樋一本を外して水の流通することを阻止し田植の時期を遅らせ、

第二、同年六月一七日頃故なく前同八本目の一二尺の樋一本を外して水の流通することを阻止し稲の発育を害し、もつて流水使用権を侵害してその水利を妨害したものである。というのであり、当審で検察官が予備的に追加した訴因は、

被告人は前同所に宅地、水田等を所有しているものであるが、隣接する同字二二八番地の五に水田約三反歩を所有耕作している佐賀光義がその水田に引水するための流水路として被告人宅地の東化側に沿つて長さ約一二尺の箱型の木製樋を約一四本継ぎ合わせ、それぞれの継ぎ目の周囲に板を釘付けして固定したものを設置していたところ、同人に無断で

第一、昭和三一年五月二二日頃右木製樋の水受口から三本目の樋一本を強いて取り外し、

第二、同年六月一七日頃右樋の水受口から八本目の樋一本を強いて取り外し、

もつて右佐賀所有の樋を損壊したものである。

というのである。

被告人が右訴因摘示の日時場所において自己所有地内に佐賀光義が設置した訴因摘示の樋を二回にわたり同人に無断で取り外して流水を阻止したことは、被告人の当審第六回公判における供述及び原審第一一回、当審第二回各公判調書中の各供述記載、証人佐賀光義の原審第三回、第九回各公判調書及び当審尋問調書中の各供述記載、原審第三回公判調書中証人外崎勝義の供述記載並びに司法警察員作成の実況見分調書を総合して認めることができる。

しかし、刑法第一二三条所定の「その他水利の妨害となるべき行為」にあたる水利妨害罪の成立するには、水の使用につき他人の有する権利を侵害する事実のあることが必要であつて、他人が権利に基づかないで水を使用するにあたり自己の権利を行使した結果その使用を妨げることがあつてもこの罪を構成するものではないことは、古くからの大審院判例の趣旨とするところである(大審院明治三〇年七月八日刑事聯合部判決、判決録三輯七巻二一頁、同三二年一二月一五日判決、同五輯一一巻三一頁、昭和一二年一二月二四日判決、判例集一六巻一六三五頁等参照)。本件において被告人の訴因第一の所為に際し、佐賀光義が訴因摘示のような方法で引水する権利を有していたことが認められず、かつ、右引水のための樋の設置が被告人の所有地の使用を妨げるものであつたことは前述のとおりであるから、右樋による流水使用を阻止した被告人の右所為は違法性を欠き水利妨害罪を構成しない。

次に前記被告人の各供述によると、被告人の第一の所為の後増毛町農業委員会の藤木技師等が来て中に入り、被告人に対し今年だけ佐賀に樋をかけさせてやつてくれと言つたので、被告人はこれを承諾したことが認められるので、これによると被告人は昭和三一年度に限り佐賀光義に対し本件の樋で引水することを承諾したことになるが、しかしこれによつて佐賀光義の取得した権利も絶対無制限のものと解すべきではなく、前記のように本件の樋が被告人の土地使用を妨げるものである以上、同人は被告人において農耕等に必要やむを得ない場合、一時的にその引水を阻止することを認容すべき立場にあつたと解するのが相当である。前記被告人の各供述及び当審第三回公判調書中の証人幸坂小市の供述記載によると、被告人が二度目に本件の樋を外したのは、その北側の畠で馬耕をするため堆肥を運ぶのに必要やむを得なかつたからであつて、一日間の馬耕の終り次第再び樋をかける意思をもつて外したものであり、しかも佐賀光義の隣の水田を耕作するためこの樋を共同利用していた幸坂小市にその旨をあらかじめ告げていたことも認められるのであるから、この場合一時的に水利を阻害されることは佐賀光義において認容すべきであつたものと解すべく、従つて被告人の訴因第二の所為もまた違法性を欠き水利妨害罪を構成しないものというべきである。

よつて予備的訴因について検討するに、前示の証拠によると、本件の樋は佐賀光義の所有に係り、長さ約三・六メートルで横断面がコの字型になつている木製のもので、これを一四本連続して木の脚の上に架設し、その継ぎ目には木片を当てこれを釘付けして継ぎ合わせてあつたところ、被告人は訴因摘示の二回にわたりその釘を抜いて継ぎ板を離し、右樋のうち一本を取り外して附近に置いたものであることが認められる。そうしてみると、被告人の行為によつてこの樋が受けた物質的な変更は極めて軽微なもので、再び釘で継ぎ板を打ち付けることによつて容易に元の状態に復旧し得るものであり、樋そのものを壊したのではないので、その樋としての効用は失われていないから、それだけでは刑法上の保護に価する損壊の結果を生じたものとは認められない。もつとも、本件各所為が、この樋を通し被告人の所有地内から引水するという用法に従つた使用を妨げたことは明らかであるが、かように他人の水利施設にそれ自体刑法上の損壊にあたらない程度の変更を加えることによつて他人の引水を妨げ、もつてその施設の効用を害する行為は本来水利妨害罪に吸収されるべき性質のものと解すべきところ、本件において各水利妨害の点が違法性を欠くことは前述のとおりであるから、被告人の各所為が右の程度のものである以上、器物毀棄罪の成立する余地もないものといわなければならない。

以上のように、本件各公訴事実について、被告人の所為は罪とならないものと認められるから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 矢部孝 中村義正 小野慶二)

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